「 」(通称:赤盤)KING BROTERS&OKKER T | 君、ちょっとCD棚の整理を手伝ってくれないか。(仮)

君、ちょっとCD棚の整理を手伝ってくれないか。(仮)

中学から買い始めたCDがあまりに増え、自分で何を持ってるか把握出来なくなってきた。そのため同じCDを2枚買うという事件を産むこととなる(4回)。

この悲劇を五度繰り返さぬよう一枚一枚確認していこうという、

ブログにするほどでもない内容のブログなのだ。

akaban


アカレンジャー「アイタタタ」

モモレンジャー「どうしたの、アカ」

アカレンジャー「夜道歩いてたら、若者にカツアゲされちゃったよ。
        他のみんなは大丈夫?」

モモレンジャー「あら、私は大丈夫だったけど」

アオレンジャー「俺も大丈夫だが」

ミドレンジャー「俺もだ」

キレンジャー「俺も(モグモグ)」

アカレンジャー「え、俺だけ?
        何かやだなぁ」


1950年代、冷戦に突入したアメリカは、
政府や軍関係者、芸能人、文化人に至るまで、
共産主義者を排除しようとした。
これが世に言う、赤狩りである。

その中心だったジョセフ・マッカーシー上院議員の
余りに傲慢で強引な手口が、
マスコミに批判され、赤狩りは終焉を迎える事となる。

現在、公開されている映画「グッドナイト&グッドラック」は、
一介のテレビ番組が、
マッカーシーを失墜に追いやる始終を描いた作品だ。

という訳で、今夜はこの映画の感想を述べる事にする。
まだ観ておらず、且つこれから観たいと思っている方は、
垢すりでもしてて下さい。


とは言え、感想が非常に言いにくい作品である。

全編モノクロで撮影されているこの映画には、
所謂エンターテイメントな要素はほぼ無く、
ある種ドキュメンタリー的にも見える。

例えば、ラスボスのマッカーシーの映像は、
当時の本物の映像であり、
番組のホスト、エド・マローと直接対決がある訳でもなく、
映画としてのカタルシスは非常に得にくい。

昨今の判りやすい映画やテレビに首まで浸かった俺には、
この映画の面白さを追うのは少々骨の折れる作業だった。

映画は窮屈なテレビ局内で行われた事を
淡々と描いていき、
状況は殆ど台詞で進行していく。

つまり、字幕をちゃんと読まなければ、
何が起こっているのか把握出来ないのだが、
その状況把握だけでも手間なのに、
画面が白黒で、文字数も多い為、
字幕を読む事自体がえらく大変なのだ。

これから観られる方は、
字幕の読みやすい、
少し後ろの席で観る事をお薦めする。


この映画でエド・マローたちの敵は二つ居る。
マッカーシーと上司だ。

こんな番組をやっていれば、
当然スポンサーのご機嫌を窺うテレビ局は、
彼らが疎ましくなってくる。

結果、マッカーシー叩きは成功するが、
番組はどんどん追いやられ、
遂には、日曜お昼という
「アッコにおまかせ」の時間帯にまで移動させられる。

いくら社会的意義があろうが、
スポンサーが金を出す以上、
番組は「CMの間の繋ぎ」にしか過ぎない。

それでも、ラストでエド・マローはテレビに苦言を呈する。
「もしテレビが娯楽と逃避のためだけの道具なら、
 元々何の価値もないということ。
 機械が詰まった只の箱です」

この意識をどれだけのテレビ人が持ってるのか判らないが、
とりあえず現在その意識を持って、
娯楽番組を作ってるビートたけしと爆笑問題と
やしきたかじんは面白いなぁ、と感じる次第。

ん?
何書いてんだか判らなくなってきた。
眠いので終わり。

グッドナイト&グッドラック。


キンブラの赤盤。
まぁ、キンブラですよ。
当然格好いいです。

で、OKKER Tって誰?